シンプルに生きる

私が「シンプリスト」になったわけ

私は昔から物が少なかったわけではなく、逆にいうと物で溢れかえった家に住んでいました。ボールペン、ティッシュペーパーといった日用品から始まり、たまにしか使わないであろう工具類、さまざまな種類の調味料、安いからといって買った食料品の数々、着てもいないのに増えていく衣類など、同じ用途に使う物が複数あるのは当たり前で、それでも常に物を探す作業やどこに置いたか分からなくなることが多々ありました。しかし、日々使っている物を見直してみると、必要な物って思っている以上に少ないことに気づきます。物がたくさんある=その物にお金を使っている、またそれに時間も使っているということになります。このことに気づいてからは自分にとって必要最低限必要な物で生きていけたら、どれだけのお金や時間を有効に使えるか考えるとワクワクしたのを今でも覚えています。そしてありとあらゆる物を減らし、今に至るというわけです。

ミニマリストの罠

個人的に「ミニマリスト」という表現が好きではないと以前の記事でお伝えしたのですが、それには理由があります。

それは全てをミニマルにすると自分の大切なことまでもミニマルにしてしまうことがあるということです。これは実際に私も経験した話で、物を減らすに減らしたはいいものの、心の安定になる自分の趣味や趣味に使う道具までも制限をかけてしまい、趣味に全力投球できなくなるという弊害が現れたことです。また、物以外についてもミニマリスト的思考な何かが働いて人間関係においてもミニマルにしようとしたり、好奇心を失って淡々とした生活になってしまったりといったことも現れることがありました。

やはりミニマルにしすぎることにも問題があるので、自分にとっていらないジャンルの物は最低限にし、自分の人生に必要だと思う物については最大限の労力をかけていいのかなと思います。

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