シンプリストロードマップ-思考法-2 「常識を疑う」

はじめに

現代社会の学校教育では一様に、得意を伸ばす教育というよりもオールラウンダーに何でもできる人材を育てる方針が基本である。しかし、これからのAI台頭時代では知識面では人間はAIに勝つことは出来ないため、人間にしか発揮できない、問題発見力、応用力、人間関係に活かせるスキルというものが求められる時代になってきた。本稿では、「常識を疑う」必要性について述べていく。

常識とは

「常識」の定義について辞書で調べてみると、

健全な一般人が共通に持っている、または持つべき、普通の知識や思慮分別。

と出てきます。しかし、常識とは文化の違いなどによって異なってきます。例えば、日本人は牛や豚を食べる際には特に何も意識せずに食べていることでしょう。しかし、イスラム教徒は豚を醜いからという理由で食べませんし、ヒンドゥー教徒は牛を神聖な生き物としているため食べないとされています。このように誰かの常識は誰かの非常識になり得ますし、逆もまた然りです。このように常識とはその人の生きてきた環境によって形成されるものなのです。

その物は絶対に必要なのか考える癖をつける

今私たちは非常に便利な世界を生きています。日本ではほぼ全ての人が衣・食・住を確保された環境に身を置き交通インフラを整った非常に豊かな国で暮らしています。その基本インフラが整っているだけで幸せになれるはずなのに日本人は幸せそうには見えないのが現状です。アメリカの物質主義に染まっていった結果「足るを知る」精神が現代社会では薄れています。今一度自分の心の充実のために物を買って満足するのではなく、着るものがあり、住む場所があり、食べるものがあるこの生活に満足する必要があるのでは無いでしょうか?恵まれた環境でただ一つのことに没頭してそれ以外をシンプルにしてみてはいかがでしょうか?というのが私からの提案です。

おわりに

この考えを身につけて自分が人生を通して身につけたい何かに没頭してそれ以外をシンプルにしてみてはいかがでしょうか?次回は「とりあえず捨てる精神を持つ」について書いていこうと思います。

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